猫又(STORY)
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 目が暗闇に慣れてくると、段々と室内の様子が見えてきた。どうやらここは古物店のようだ。辺りには所狭しと古びた家具や、骨董品らしき壷、掛け軸などが並んでいる。傍らに置いてあった鏡台を見やると、表面にうっすらとほこりが積もっていた。
 ほこりを指で払いながらゆっくりと歩みを進めると、足下でチャリンという音がした。何かを蹴飛ばしたらしい。床に小さな、小指の先ほどの大きさの鈴が転がっていた。鈴には赤いコヨリが結んである。
 私は何の気なしにその鈴を手に取り、耳もとで振ってみた。チリチリと心地よい音がする。
「その鈴をお気に召されたかえ」
 息のかかるような首筋からふいに声が聞こえた。いきなりの出来事に心臓がドキンと波打ち、反射的に飛びずさる。が、そこには誰もいなかった。
「久しぶりのお客さんだえぇ、うれし」今度は前方から声が聞こえた。よく目を凝らして見てみると、奥の座敷に誰かが座っているようだ。暗くてよく見えないが、若い女...主人だろうか。
「お茶でも出しますえ、まぁゆっくりしていってくんなまし」
 近付いてみるとそれは確かに若い女だった。髪を結い上げ、何やら大時代な衣装を着ている。
 女は畳に座り、キセルを悠然とふかしながらこちらを見つめている。女の前には大きな文机が置いてあった。
「すみません、終電を逃しまして...」私はおずおずと申し出た。
「もしよろしければ、こちらに朝までちょっと寄らせてもらいたいのですが」
 女はそれには答えず、キセルの灰をポンと落とすと、机から取り出した二つの小さな湯呑みにトポトポと熱いお茶を注いだ。黙って一つをこちらに差し出す。
「その鈴、お気に召されましたんかえ」
 私はふと、先程拾った赤いコヨリの付いた鈴を右手に握りしめていることに気が付いた。そのまま勧められるままに座敷に上がり、女の前に座ると、私は持っていた鈴をそっと二人の間の机の上に置いた。
 女が私に手をかざした。その手がやけに毛むくじゃらで私はぎょっとなったが、女は構うことなく机越しに鈴をつまむと、私の手の中に戻し、彼女の手のひらで包み込んだ。
「これも何かの御縁、差し上げますぇ、持っておいておくんなまし」
 女の手はふんわりと柔らかい毛で覆われており、私の手の甲をくすぐった。
 手を引いて身じろぎをした瞬間に、机の傍らに置いてあった行灯の光が当たり、これまで闇に隠れて見えなかった彼女の後頭部を弱々しく照らし出した。そして私はふいに、目の前に座っている人物が、高く結い上げられた髪の下に、異様に長く大きな耳をしていることに気が付いた。

 彼女がこちらを注視しているにも関わらず、私は思わずその部分に目が釘付けになってしまった。作り物なのだろうか?それとも...。
 突然、女がふぅっとキセルの煙を私に吹き掛けた。煙は甘く、白檀の香りがした。あまりの強い香りに目眩がし、私はクラクラと意識が遠のきそうになるのを感じた。
 咄嗟にはっしと机の端をつかまえ、崩れ落ちそうになる上半身をやっとの思いで支えた。ようやく落ち着いて頭をあげると、女が唇の端で微笑みながらこちらをじっと見つめていた。
 何かを言おうとしたのだけれど、言葉が口に出てこなかった。これは人間では無い、直感的にそう感じた。背筋の毛がぞわっと逆立つ。女はそんな私を見つめながら妖艶な笑みを浮かべた。

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