猫又(STORY)
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 女が口をつぐむと、あたりはしんと水をうったような静けさに包まれた。私はごくりと息をのみ、何か言葉を発しようとしたその時、バタンと入り口の扉が大きく開き、凄まじい突風が店の中を吹き荒れた。
 風の勢いは目もあけていられないほどだった。掛け軸がばたばたと吹っ飛び、床に置いてあった無数の壷が次々と転がっていく。どこかでガシャーンとガラスの割れる音が聞こえ、その後無数の破片が頬をかすめた。
 嵐は永遠に続くかと思われた。絶間なく続く風の唸り声のなかで、うぉぉ、という低い男の声が聞こえたような気がした。「おまいさん!」と続く女の声。そしてその後、まるで嘘のように、ピタリと風が収まった。

 部屋の中で、私は呆然と立ち尽くしていた。あたりはひどい有り様だった。割れたガラスが足下に散乱していて、動く度にパリパリと音がする。
 ふと思い至って壁際を見やると、周りの錯乱状態にも関わらず、衝立ひとつが何ごともなかったかのようにすんなりと立っており、そこに掛けられていた男物の着物が消えていた。
 そして女もいなくなっていた。


 夜が白々と明けようとしていた。私はますますしわくちゃになってしまった上着を握りしめ、足下に注意しながらそおっと入り口の扉をくぐった。
 朝日が目に眩しかった。みぃみぃと声がするのでふと下を見ると、一匹の小さな白い子猫が足下にまとわりついていた。
 私はしばらく見つめてから子猫を抱き上げ、ポケットに入れてあった赤い鈴を首に付けてやった。子猫が首を振るたび、鈴はチリチリと涼し気な音色をたてた。
 女房はこの子猫をどう思うかな、ゴロゴロ咽を鳴らす猫をあやしながら私は考えた。以前猫を飼いたいと言っていたような気がしたが。子供達にもこれを機会に話し掛けてみよう。面と向かって話すのは何日ぶりだろう、うまく話せるかどうかは分からないが。
 チリンとベルを鳴らして、新聞配達の若者が自転車で脇を通り過ぎていった。
 段々と明るくなってくる町並みの中、私は小脇に猫をかかえ、始発電車の出発する駅に向かって歩き出した。

-終わり- 
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