セイレン(STORY)
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 海の中は船上の喧噪とはうってかわって、青白い光と静寂に包まれていた。
 パウロは海に投げ出され、ぶくぶくと沈みながら遥か上方に、転覆したアルガス号の船影を認めた。まずは溺れずに漂流物につかまり、嵐が収まってから救助を待つしかない。恐怖心よりも生存本能の方が先にたった。彼は必死に方向を転じて両手で水を掻き、上方に浮かぶ船の残骸へと泳いでいった。
 周りには恐怖心にかられ、パニックを起こして溺れていく船乗りも多く見られた。パニックを起こす者はそれに近付く者も巻き添えにしてしまう。パウロは下方から注意深く、沈んでいく人陰を避けながら真直ぐに船影近くの水面へと上昇していった。
 水面から顔を出したとたん、つんざくような突風がパウロを襲った。寒さに歯をガチガチと鳴らしながら、彼は渇望していた空気を肺一杯に吸い込んだ。生き残った何人かが、同じように船の残骸にしがみついていた。
 助かった、パウロがほっと息をついたその瞬間、凄まじい力が彼の下半身をわし掴みにし、海の中へ引きずり込んだ。あっという間の出来事だったため、パウロは抵抗も、空気を肺に吸い込む事すらできなかった。彼は一瞬にして海水を大量に飲み込み、息をしようとしてはまた飲み込んでガボゴボと苦しい音をたてた。彼は足首をなにかに掴まれたまま逆さまになり、猛スピードで水の中を引きずられていった。
 遠のく意識の中、パウロは水流にのって扇のように広がり踊る長い髪と、青白い燐光をたたえた太い魚の尾ひれを見たような気がした。そして、彼は意識を失った。



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