セイレン(STORY)
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 目を覚ますと、そこは波打ち際だった。嵐はもうピークを過ぎたらしく、雨も小雨になっていた。
 パウロは呻きながら上半身を起こして、大量の水を吐いた。四つん這いになり、浜辺の砂を両手で握りしめながらゴホゴホと咳き込む。ようやく落ち着き、深呼吸してふと横を見ると、そこに見なれた入れ墨をした腕が転がっているのを見つけた。
 サンチェゴのだ、パウロは驚愕をもってその腕を見つめた。切断面がまだ新しく、ピンク色にてらてら光っている...。まるで何かに食いちぎられたようだ、とパウロが思ったとたん、バシン、と浅瀬から何かが飛び出し、彼の身体をからめとった。パウロは目を疑った。それは、人魚だった。

 人魚は長く美しい栗色の髪をもち、下半身は艶やかな青い鱗に包まれていた。水の中で見たのはこれだったんだ、パウロは瞬時に悟った。人魚は先程喰った何か...の名残りなのか、口の周りをベッタリと血で赤く濡らし、彼をひたと見据えて舌舐めずりしていた。
 パウロは後ずさりしようとしたが、金縛りにあったかのようにピクリとも動けなかった。人魚のしなやかな手がゆっくりと前へ伸びる。その手が彼のむきだしの肩へ触れた途端、電撃を受けたかのような恍惚感が彼を包み込んだ。
 ああ、パウロは小さく呻いた。人魚の顔が目前に近付いてきた。うっとりとするような美女だった。唇が半開きになり、中からピンク色の舌がちろちろと見える。やがて人魚はゆっくりとパウロの口をふさいだ。
 パウロはめくるめく幸福に身を震わせながら、無我夢中で彼女のふっくらとした唇、そして舌を吸った。白い指が彼の顔をまさぐり、髪、耳、頬をゆっくりと愛撫する。彼女が触れるたびに皮膚が粟立ち、魔法のようにぞくぞくと突き上げるような快感が彼を襲った。
 彼はすでに、自分の腰から下の感覚がないことを理解していた。柔らかい白い腕に包まれながらぼんやりと、サンチェゴの行く末に思いを馳せた。その後どうなったのかも。

 朦朧と薄れ行く意識の中で、それでもいい、と彼は思った。
 どこかで、バキリと自分の背骨が折れる音を聞いた。



-終わり- 
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